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【早稲田建学の母、小野梓】

みなさんこんにちは!!


2月もあっという間に過ぎて、いよいよ春だなと感じる今日この頃です。

寒暖差が激しかったり、花粉が飛んでいたりするので、みなさんも体調に気を付けながら春を楽しんでくださいね。

さて、3月には早稲田大学の建学にかかわった二人の偉人の誕生日があることをみなさんは知っていましたか?3月10日は小野梓、3月11日は大隈重信の誕生日です!


大隈重信は大学構内に銅像が建っていることもあり早稲田大学建学の祖としてかなり有名ですが、小野梓の方は意外と知られていませんよね。

そこで今回のコラムでは、小野梓と早稲田大学のかかわりについて紹介していきたいと思います!


早稲田大学の前身は、1882年に創設された「東京専門学校」です。専門学校から大学へ昇格した1902年に「早稲田大学」へと改称しました。

小野梓は、大隈重信を助け東京専門学校の創設に最も心血を注いだ人間の一人です。

それゆえに、大隈重信と小野梓は早稲田大学建学の父・母と並べて称されています。



小野梓は日本の立憲政治の実現を訴え、民権運動の先駆け的存在でした。

1876年に司法省入りして民法制定の基礎づくりにあたり、この時に参議であった大隈重信に見出されます。北海道開拓使官有地払い下げ問題後に政府から下野した小野梓は、大隈重信の下で立憲改進党の創設や東京専門学校の創設に突き進んでいきます。

この当時から小野梓の家は天下国家を論じる学生のたまり場となっていて、いつのころか「鷗渡会」と呼ばれる集まりとなり、この若者らが立憲改進党や東京専門学校の創立を支えました。


小野梓は肺結核を病み、わずか33歳でこの世を去りますが、「学問の独立」を唱える小野梓の精神は早稲田大学の根本精神として現在にも受け継がれています。


早稲田大学歴史館(早稲田キャンパス1号館1階)の「久遠の理想」エリアでは、大隈重信と小野梓の奇跡的な出会いがいろいろな資料とともに紹介されているので、ぜひ足を運んでみてください!


〈参考ウェブサイト・画像出典〉

・早稲田文化 ニュース2020年3月11日「3月10日は小野梓、3月11日は大隈重信の誕生日」https://www.waseda.jp/culture/news/2020/03/11/10062/(2021/2/28)

・早稲田大学大学紹介 早稲田の歴史 概要

・早稲田文化 文化施設 早稲田大学歴史館https://www.waseda.jp/culture/about/facilities/rekishikan/(2021/2/28)

・一般社団法人高知サマサマCCRCセンター「早稲田大学の本当の開祖は小野梓」

筆者 ソフィ

早稲田大学文化構想学部2年

早稲田大学公認サークル

まっちワークグループ早稲田

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