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春節に考えるー早稲田のまちと中国の意外なつながりー



気づけば1月も後半に。2020年の春節は1月25日(土)です。近年はこの時期に関わらず中国から多くの留学生や観光客を見かけますが、これはここ数年で始まったことではございません。早稲田のまちには、100年ほど前から中国から来た若者がいたようです。孫文、周恩来など皆さんが歴史の授業で勉強した人物たちも早稲田大学を訪れています。今回は孫文に焦点を当てて早稲田のまちを見ていきたいと思います。


皆さんが孫文と聞いて思い浮かべることは何でしょうか。革命主義や全国鉄道建設でしょうか。新台湾ドル紙幣にも孫文は印刷されていますね。中華革命をはじめとする、20世紀初頭の中国の近代化を語る際には必須の人物ですよね。


その孫文はなんと、早稲田大学の創設者である大隈重信とも親交があり、以前鶴巻町で暮らした時期もあるようです。


時は1897年、3年前に結成された興中会を率いて、広州での武装蜂起に失敗した孫文は、日本に亡命したようです。国としての日清関係を悪化させてはいけないという立場を考慮しつつ、当時外務大臣を務めていた大隈重信は孫文を使用人という名目で孫文の保護を実現しました。その際に、孫文が滞在したのが早稲田鶴巻町にある借家でした。


皆さんが普段歩いている道ももしかすると、一世紀ほど前に孫文が歩いた道なのかもしれません。


こういった経緯から、孫文は16年後に全国鉄道建設計画総裁として日本を訪れた時に大隈邸を訪問しました。その際に孫文は、大隈重信に対し、清国の青年が早稲田大学での学びを通して涵養した知識やアイデンティティが革命の成功へと繋がったことへの感謝を示しました。


今日、早稲田大学のキャンパスを歩くと自然と耳に入ってくる中国語。多くの中国人留学生が早稲田のまちで学ぶようになった背景には、孫文をはじめとする先人と早稲田を創ってきた人々の交流があるようで興味深いですね。


参考リンク


筆者 新こいわい

早稲田大学政治経済学部1年

早稲田大学公認サークル



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